市川團十郎と海老蔵の違いは?歴代と血筋についても

市川團十郎と海老蔵の違いは?歴代と血筋についても

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市川團十郎と海老蔵の違いは何?

「市川團十郎さんと市川海老蔵さんの違いはなに?」と疑問に思った方もいるのではないでしょうか。

結論、市川團十郎と海老蔵は同じ人物で、歌舞伎の名跡として役者の成長段階によって名乗る名前が変わるだけなんです。

とくに2022年に十一代目市川海老蔵さんが「十三代目市川團十郎白猿」を襲名したことで、「海老蔵と團十郎の違いってなに?」と話題になりました。

この記事では、市川團十郎と市川海老蔵の違いをわかりやすく解説し、歴代の名跡や血筋、そして「白猿」という名前の意味についても詳しくご紹介していきます。

目次

市川團十郎と海老蔵の違いは?

市川團十郎と市川海老蔵は、じつは同じ人物が名乗る名前の違いなんです。

歌舞伎の世界には「名跡(みょうせき)」と呼ばれる特別な名前があり、実力や年齢に応じて名前が段階的に受け継がれていくのが伝統です。

たとえば現在の十三代目市川團十郎白猿さんも、以前は「十一代目市川海老蔵」として活動していて、さらにその前は「新之助」を名乗っていました。

これは世襲制の名跡を継ぐ通過儀礼のようなもので、「海老蔵」は次期團十郎としてのポジション、「團十郎」はその頂点という位置づけです。

つまり、名前は違っても中身は同じ人で、「どの段階にいるか」で呼び名が変わる、というのが歌舞伎の伝統的なしくみなんですね。

2人は別人ではなく同じ人物

2022年に海老蔵を名乗っていた役者さんが、十三代目市川團十郎白猿を襲名し、現在は名前が変わっているだけなんです。

歌舞伎の世界では、同じ人が年齢や実績に応じて別の名前を受け継ぐ「名跡制度」があります。

これは単なる芸名の変更ではなく、歌舞伎家の伝統を守り、つなげていく大切な儀式でもあります。

なので、團十郎と海老蔵は「別人」ではなく、名前の段階が違うだけなんです。

なぜ名前が変わるの?

歌舞伎役者の名前は、いわば階段をのぼるように変わっていくのが伝統です。

たとえば、十三代目市川團十郎さんも、若いころは「市川新之助」→「市川海老蔵」と段階的に名乗り、最終的に團十郎へと到達しました。

團十郎という名前は、成田屋宗家を代表する最も格式ある名跡で、「一家の頂点」を意味します。

一方、海老蔵はその前段階で「次期團十郎候補」としての意味合いが強い名前です。

つまり名前が変わるのは、伝統と実力を引き継ぐ通過儀礼のようなものなんです。

今後は誰が海老蔵になるの?

現在、海老蔵の名を名乗っている人はいませんが、いずれ現・團十郎さんの息子、堀越勸玄(ほりこし・かんげん)くんが名乗る可能性が高いとされています。

勸玄くんは現在「八代目 市川新之助」として舞台に立ち、注目を集めています。

おそらく今後は「市川海老蔵」→「市川團十郎」という流れを踏んでいくのではないかと期待されているんですね。

このように、名跡は家の伝統と物語を未来へつなぐ、大切なバトンのような存在です。

市川團十郎の歴代一覧とそれぞれの特徴は?

市川團十郎という名跡は、初代が生まれた江戸時代から現代まで、なんと300年以上の歴史があります。

歴代の團十郎たちは、それぞれの時代に応じた役柄や芸を磨き、歌舞伎の発展に大きく貢献してきました。

とくに初代〜九代目までは、「荒事」の確立や「歌舞伎十八番」の制定など、今の歌舞伎の型を作った存在として知られています。

また、近代に入ってからは、テレビや映画の登場で歌舞伎の在り方が変化し、團十郎の役割もより広い世代に向けた存在へと進化しています。

ここでは、それぞれの代の特徴や時代背景も交えて、13代にわたる市川團十郎の歩みをわかりやすく整理していきますね。

初代〜五代目は“荒事”の創始者と黄金期のスターたち

市川團十郎の歴代の中でも、初代〜五代目は歌舞伎の基礎を築いた重要な人物たちです。

初代團十郎さんは江戸時代に活躍し、「荒事(あらごと)」という力強い演技スタイルを生み出しました。

二代目はその芸を継ぎつつ、芝居の幅を広げ、助六などの代表作を生み出した立役者です。

四代目は松本幸四郎家から養子入りし、團十郎家と他の名家とのつながりを象徴する存在でもあります。

五代目は写楽の浮世絵にも描かれた人気者で、芝居とアートの融合を体現したスターでした。

六代目〜九代目は人気と伝統を両立した名優たち

六代目と八代目は、ともに美男子として有名で、特に八代目は元祖イケメン役者として絶大な人気を誇りました。

七代目は團十郎家の芸を整理し、「歌舞伎十八番(じゅうはちばん)」を制定した人物です。

これは「これぞ成田屋!」という代表演目をまとめたもので、今も上演され続けています。

九代目は明治時代に活躍し、尾上菊五郎らとともに「團菊左」と呼ばれる黄金トリオの一人として活躍しました。

現代の歌舞伎にもつながる演技改革を進めた歌舞伎のレジェンドと言われています。

十代目〜十三代目は近代から現代へとつなぐ存在

十代目以降は、近代化とテレビ時代を迎えた歌舞伎界で、新しい時代の團十郎像を築いた人たちです。

十代目は銀行員から婿養子として團十郎を襲名し、異色の経歴ながらも名跡をしっかりと継承しました。

十一代目は上品な芸と落ち着いた佇まいで人気があり、戦後の歌舞伎を支えた立役者です。

十二代目は「海老玉コンビ」で知られ、坂東玉三郎さんとの舞台で多くのファンを魅了しました。

そして十三代目の市川團十郎白猿さんは、2022年に襲名し、現代歌舞伎の顔として、伝統と新しさの橋渡しを担っています。

市川團十郎の血筋と成田屋の家系図

市川團十郎は13代にわたって受け継がれてきた名跡ですが、実はずっと血縁でつながっているわけではないんです。

歌舞伎の世界では、血のつながりだけでなく「芸の継承」がとても大切にされていて、必要に応じて養子を迎えて名跡を守ってきました。

とはいえ、市川家(本名:堀越家)の家系には実の親子も多く、代々続く成田屋というブランドと信頼がしっかり根付いています。

ここでは團十郎家の血筋や家系図をわかりやすく整理しながら、他の歌舞伎名門との関係もふくめてご紹介していきますね。

「成田屋って何?」「血筋じゃないの?」と感じた方も、スッキリ整理できるはずです!

成田屋の本姓は「堀越家」

市川團十郎家の本名(本姓)は「堀越家」といいます。

現在の十三代目・市川團十郎白猿さんも本名は「堀越寶世(たかとし)」さんで、襲名前は「堀越勸玄くんのパパ」としても有名でした。

もともと成田屋というのは屋号で、歌舞伎役者の店名のようなもの。成田山新勝寺の不動明王にちなんで名付けられました。

江戸時代から続く信仰と芸の家系で、「堀越」という本名と「成田屋」という屋号が両立している形なんです。

つまり、堀越家は成田屋の中の「家の名前」で、代々この家から團十郎が生まれてきたということなんですね。

血筋が続いているとは限らない?養子も多い伝統芸能の世界

歌舞伎の世界では、血縁だけでなく養子制度も大きな役割を果たしています。

実際、歴代の團十郎には、松本幸四郎家からの養子だった四代目など、血がつながっていないケースもありました。

十代目市川團十郎も、もとは銀行員でありながら婿養子として名跡を継いだという経歴があります。

これは「芸を絶やさないための継承」という考えが根付いているからこそで、一般的な家系図とは少し違うんですね。

つまり團十郎の名は、「血筋」だけでなく「芸と信念」を受け継いできた象徴でもあるんです。

家系図から見える、成田屋と歌舞伎界のつながり

成田屋の家系図を見てみると、松本幸四郎家や市川右團次家など、歌舞伎界の他の名家と深く関わっていることがわかります。

これは、養子や婿入りを通して名跡を守りながらも、芸の交流や信頼関係が築かれてきた証拠とも言えます。

特に七代目や九代目は、歌舞伎界の改革を進めるリーダーとして、他家との連携にも積極的でした。

このように家系図は、単なる血のつながりではなく、「歌舞伎界全体のつながり」を可視化したものでもあるんです。

家族というより文化の継承者ネットワークという感じで見ると、より深く理解できるかもしれませんね。

市川團十郎白猿とはどういう意味?

じつはこの白猿には、古くから歌舞伎の名跡に使われてきた由来があって、十三代目がこの名を受け継ぐ際に、あえて付け加えた特別な意味が込められています。

この章では、「白猿」の言葉の意味や由来、五代目との関係、そしてなぜ今このタイミングで名乗ることになったのかをわかりやすく解説していきますね。

「白猿」は修行中を表す謙虚な名前

白猿という名前は、「自分はまだまだ未熟で、偉大な先代には及ばない」という意味を込めた俳名です。

十三代目市川團十郎さんは、2022年の襲名時に「父や祖父の足元にも及ばない」と語り、あえてこの白猿という名を加えました。

ふつう、襲名時は華やかな名前で締めくくるのが一般的ですが、あえて修行中の身を名乗る姿勢に、深い決意が感じられます。

これは、成田屋という家の伝統や重みをとても大切にしている証とも言えますね。

子どもが「まだパパには勝てないけど、がんばる!」って言うみたいで、ちょっと応援したくなります。

五代目團十郎の俳名「栢莚(はくえん)」が由来

白猿という名前のルーツは、江戸時代の五代目市川團十郎が使っていた俳名「栢莚(はくえん)」にあります。

この栢莚を、音はそのままに「白い猿」と書き換えたのが、いまの白猿なんですね。

五代目はとても芸に厳しく、当時の人々が「猿は人間に毛が三筋足らない」と言ったことになぞらえて、「私はまだ三筋足りない=未熟者」という意味で白猿と名乗ったとも言われています。

言いかえると「私はまだ名人じゃないけど、精進します」という気持ちの表れだったんです。

そう考えると、十三代目が白猿を名乗った理由にも納得がいきますね。

なぜ今「白猿」を付けたの?

十三代目が「白猿」と名乗ったのは、自分にはまだ未熟な部分があると認めた上で、覚悟をもって團十郎を継ぐという決意の表れです。

襲名のタイミングでは、「團十郎にはまだ早いのでは?」という厳しい声もありましたが、それでも逃げずに受け止めて、あえて謙虚な名前を付けたところに強い覚悟を感じます。

團十郎という名跡は、それだけ大きな責任と期待がかかるものですし、「白猿」は「まだまだ修行中です」という宣言でもあるんですね。

これまでの代には見られなかった新たな名乗り方ですが、今の時代らしい誠実さや、個人としての葛藤がにじんでいるように感じます。

だからこそ、「白猿」という名前には、伝統と謙虚さ、そして未来へのまっすぐな思いが込められているんだなと共感します。

市川團十郎・海老蔵に関するよくある質問

市川團十郎さんと市川海老蔵さんに関して、よくある質問をわかりやすくまとめてみました。

市川團十郎と海老蔵は同一人物なの?

現在の市川團十郎白猿さんは、2022年までは「十一代目 市川海老蔵」を名乗っていた、同一人物です。

歌舞伎では「名跡(みょうせき)」という名前の継承制度があり、実力や年齢に応じて段階的に名前が変わっていきます。

若いうちは「新之助」、中堅で「海老蔵」、トップに立つと「團十郎」と進んでいくのが、成田屋の伝統的な流れなんですね。

次の「海老蔵」は誰になるの?

「海老蔵」を名乗っている人はいませんが、次に継ぐのは、おそらく堀越勸玄(ほりこし・かんげん)くんになると見られています。

勸玄くんは、十三代目團十郎さん(元・海老蔵)の長男で、現在は「八代目 市川新之助」として舞台デビューも果たしています。

成田屋ってどういう意味なの?

成田屋(なりたや)は、市川團十郎家の「屋号」で、歌舞伎の世界でいう“〇〇家”や“〇〇屋”のようなものです。

この名前は、初代團十郎が深く信仰していた千葉県・成田山新勝寺の不動明王にちなんで名付けられました。

「成田屋!」という掛け声(大向こう)は、舞台の客席から贈られる応援の言葉でもあり、團十郎家の誇りを象徴しています。

白猿って、團十郎以外も名乗るの?

「白猿(はくえん)」は現時点では市川團十郎白猿さんだけが名乗っていて、特別な意味を持つ俳名です。

過去の代では五代目團十郎が「栢莚(はくえん)」という俳名を使っており、それを漢字を変えて受け継いだ形になります。

十三代目があえてこの名を名乗ったのは、「まだ先代たちには及ばない」という謙虚な気持ちを込めたものです。

まとめ:市川團十郎と海老蔵の違いは?歴代と血筋についても

こちらの記事では「市川團十郎と海老蔵の違いは?歴代と血筋についても」と題してまとめました。

市川團十郎さんと市川海老蔵さんは、名前が違うだけで同じ人物です。

歌舞伎の世界では、代々受け継がれる「名跡(みょうせき)」によって名前が変わっていくのが伝統で、團十郎や海老蔵は成田屋の中でも特に格式のある名跡です。

また、血筋だけでなく養子や婿養子によって芸が継承されてきた歴史や、「白猿」に込められた謙虚な思いにも、歌舞伎の奥深さが感じられます。

テーマ要点まとめ
團十郎と海老蔵の違い同一人物が成長段階で名乗り分ける名跡。現在の團十郎は元・海老蔵。
名跡の順番新之助 → 海老蔵 → 團十郎の順で継承されることが多い。
成田屋の血筋本姓は堀越家。血縁+養子で芸を守ってきた家系。
白猿の意味「まだ未熟である」という謙虚な気持ちの象徴。十三代目独自の名乗り。
次の海老蔵は?長男・堀越勸玄くんが将来継ぐと期待されている。

名前の変化にはすべて意味があり、そこに込められた覚悟や成長の物語を知ることで、より一層歌舞伎を楽しめるようになるはずです。

ぜひ今後の成田屋の活躍や、次世代・堀越勸玄くんの歩みにも注目してみてくださいね。

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